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季節の室礼 床の間飾り




九月(長月・長雨月・菊月・夜長月)

「看月(つきみ)」






月を賞でると言う風習は中国唐の時代に盛んに行われたと言う記録があります。我国へは平安時代に


宮中に伝わったとされています。それ以前にも日本では農耕民族として、旧暦8月15日(現在の9月15日)は


秋の月の運行の真中に当り土着の月へ収穫としての祭り事としてありました。


江戸時代に入りこの季≠ェ芋の収穫期と重なる為この日を別名芋名月(いもめいげつ)≠ニ言われます。


名月とは単に他の月の満月とは異なり、秋期の90夜とちょうど真中夜として人々にとってかけがえの無い、


一夜の月なので名月(めいげつ)と呼ばれます。ちなみに他の月の満月は単に明月(めいげつ)と言います。


月を迎えるに当たり、地方により飾り付けは異なりますが、ダンゴ・芋・ススキの穂(稲に見立て)を供えて


「お月さま」を迎えるのが一般的な飾り方です。





十五夜


十五夜(じゅうごや)の別名は月の良い夜の事を指し「良夜(りょうや)」と言います。くもって月の明かり


だけを感じる月を「無月(むげつ)」雨が降れば「雨月(うげつ)」と呼ばれ、前日の月を「待宵(まつよい)」


翌日は「十六夜(いざよい)」と呼びます。江戸・東都歳時記の「良夜墨水看月(りょうやぼくすいのつきみ)」


とあるのは名月を見る為船で墨田川にくり出して月を見ると言う意味です。





江戸っ子の月見は前日の「待宵(まつよい)」で宴を開き翌日の名月と二度(2日に渡り)見る事とされて


いました。元禄の頃になると、墨田川に山谷船・猪牙船(ちょきぶね)で月見を楽しむ事が盛んになりました。






十三夜(旧暦九月十三日、現代十月十三日頃


中国から十五夜の月見が伝えられて、中国式に八月十五日を宮中行事になった為、もともと日本古来の


月見の十月十三日が軽んじらる傾向にありましたが、十五夜制定の10年後に十三夜をもって名月の夜≠ニする


断を宮中が下した為、ややこしい事に二ヶ月に渡る月見の行事が行われるようになりました。この事により


旧暦の九月十三日の月は、月の運行上十五夜とは違い完璧な満月ではなく、少し欠けが見られる満月を


賞でる事になりました。この欠けた所が日本人の感性と秋のもの悲しさが相まって民衆に取り入れられる


事になりました。この日の月見は豆を主体にした飾りを豆名月(まめめいげつ)と言い栗を主体の飾りを


栗名月(くりめいげつ)と呼ばれます。江戸っ子は宮中二つの行事をも取り入れ前月の月見・後月の月見と称し


遊び心を手伝い、方月見(かたつきみ)をするのは江戸っ子では無いと言う風潮をも生みました。


江戸っ子は何回月見をすると気が済むんでしょうか?





月見の茶会の発祥は江戸時代の前日の「待宵」の宴だとされています。










床の飾り




お軸を掛けない分、杉柾目・黒神代(埋もれ木)市松の衝立を背し月夜を表しています。

衝立の隅に金紙・裏銀紙を上弦に張り満月を待つ心を表します。裏張りの銀は、くもりの月を

表しその日に合わせるように置きます。左右に市松張りの灯器一対置いて床飾りの空間を締めます。









供物飾り










左に収穫籠に豆・芋を月別に別けて用います。右に丸三宝木地に月見団子を当日以外14個飾っています。

真中に秋草とススキを高麗酒器に生けました。雁合模様の紙敷に月ウサギの置物として香合代りに置いています。











夜の茶会では席中から外(縁側・書院外)を見るかのように御簾を半間(はんげん)ほど落掛

から掛けると秋の月見の風情が強く感じられる演出となります。









月見団子


昔の人は月を看る日により団子の数を日数事に13・14・15個と別けて飾ったそうです。


簡単に言ってしまいましたが、これらの数を飾るのに苦労します。


皆様も頭を使って月見の日に合わせて飾り付けをして見て下さい。





24.9.13 東京数寄屋倶楽部 村山元伸