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季節の室礼 床の間飾り




八月(葉月・観付月・秋風月)

「江戸の耀き(かがやき)」





この床飾りは天保九年(今から180年前)に書かれた「東都歳時記」行事の内、八月(旧暦九月)八月十五日


富賀岡八幡宮祭礼(とみがおかはちまんぐうさいれい)に描かれた一枚の絵を基に、神輿本体はもちろん


提灯を始め幟り旗などあらゆる細部に至るまで忠実に考証を重ねて1/5スケールですべて手作りで再現した


ジオラマ祭礼床飾りです。すべてを終えるまでに約10年の歳月を要した物です。大変さは一言で言えない


苦労の連続でした。ここでは細かい作り方や苦労したことを書くつもりはありませんが、


主な作品の説明だけを紹介します。








三基の本社神輿





向かって左の形は八棟神社型神輿と呼ばれています。




今は塗り仕上がりが多くなってきていますが欅材の木地に金物飾りが古い形です。東京はこの八棟型の神輿が


現在28台あります。深川では牡丹二・三町会と木場五町会の2台です。















中の形は六角神社型神輿と呼ばれています。




八角形の神輿中央区佃祭り(住吉神社)の本社神輿が有名です。


深川では東陽一町会(旧洲崎弁天町)の1台のみです。















右の形は屋根延(やねのべ)神社型神輿と呼ばれています。





この形は屋根が塗り屋根と総木地彫りの二つのタイプがありますが、この屋根の形が一段小屋根を


持つ形唐破風と呼ばれています。右の形が深川では多い形です。原画では当時神仏混合の時代でしたから


巴紋ではなく塗り屋根の中央に万字紋が描かれています。






この三基の神輿は豪商紀ノ国屋文左衛門が当時金に糸目を付けず寄贈した神輿で明治まで本殿に


納められていましたが、残念ながら関東大震災で消失しました。














幟り旗(のぼりばた)







深川は幟祭の別名がありました。当時深川在住の書家、三井親和(みついしんな)の書体が


当時流行するほど人々を惹きつけました。


祭礼時には揮毫(きごう)した篆書(てんしょ)を町々が競って大文字の大幟を掲げたと伝えられています。













下の写真の幟り旗は本物の幟り旗がすでに消失していますので、現代の江戸文字を書く方と相談しながら再現した物です。























提灯










原図では左右に大きな菊≠フ御紋の入った大提灯(深川八幡は当時真言永代寺領内の神社でありました)に


辰巳芸者が有名な仲町のお茶屋の屋号の丸提灯が並びます。






ここでは大岡越前守が現代の消防制度の基となった、いろは四十八番組・深川十八番組の町火消制度の内


勝海舟にも縁のある深川南組を中心に提灯に纏(まとい)組伴天を描いています。
















深川に縁のあった人物


江戸のデザイナーで有名な山東京伝(さんとうきょうでん)も木場の質屋の息子であったり、深川万年橋から


スタートした奥の細道≠ナ有名な松尾芭蕉、時の吉原大尽遊びで有名な紀ノ国屋・奈良茂をはじめ、


茶道具では今でも江東区内に名が残る材木の豪商冬木屋(冬木喜平次)冠した品物として茶碗(冬木伯庵)


唐物茶入(冬木絃付つるつき)他冬木小袖が有名です。又映画界では小津安二郎監督も深川の出身です。








皆さんも自分の地域の事、祭礼行事を一から調べなおしてみると、こういうことだったのか、


今は失われているものがあったり何でもなく行われている事柄、風俗、習慣まで発見の連続が


必ずあります。デザイン・形(かたち)は調べることから始まります。茶道の温故知新≠ニ


重なります(古きを尋ね新しき事を知る)。何も考えずに行動もないと失敗につながります


後の祭り≠ネらぬよう。







神輿参考:浅草 宮本卯え助商店・市川 中台製作所
浅草 南部屋五郎右衛門店





24.8.5 東京数寄屋倶楽部 村山元伸